大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)52号 判決

一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願考案の実用新案登録請求の範囲)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

1 成立に争いのない甲第六号証によれば、本願明細書に相当する本願公報には、本願考案の技術的課題(目的)、構成、作用効果について次のとおり記載されていることが認められる。

(一) 本願考案は、心電図等の生体信号の監視において、その波形、数及び数の時間経過を一つの陰極線管のスクリーン上に同時表示する患者監視装置に関するもの(第一欄第九行ないし第一二行)であつて、従来の心電図監視装置は、陰極線管のスクリーンに心電図波形を表示し、また、メーターあるいはデジタルボルトメーターにより心拍数が表示される構成のもので、この種の装置においては、心電図と心拍数は物理的に別々に表示され、人間工学的立場から必ずしも認識が容易ではないという欠点があり、また、心拍数は現在の値のみでなく、過去の時間経過上のデータも必要であるが、この種の装置では別に記録計等の装置を付加しなければ実現できないという欠点があつた(第二欄第七行ないし第一六行)との知見に基づき、一つの陰極線管のスクリーン上に心電図、瞬時の心拍数、心拍数の時間経過のデータが表示され、監視者に必要なデータを容易に認識できるようにすることを目的とし(同欄第一七行ないし第二一行)、

(二) 本願考案の実用新案登録請求の範囲記載の構成、すなわち「病院等の患者監視において、生体信号を監視パラメーターとし、一つの陰極線管のスクリーン上に、その信号波形及び信号波形の計数値更にその上、下限のリミツターラインを含んだ波形の計数値の時間経過を表示することを特徴とした生体現象監視装置」(第一欄第二行ないし第七行)を採用し、

(三) 右構成によつて、心電図、瞬時の心拍数、心拍数の時間経過を一つの陰極線管のスクリーン上に描くことができるから、そのデータの認識が容易であり、これらのデータ間の関係も含めて監視することができる。また、心拍数の時間経過の図示化は、上、下限のリミツターラインが同時に描かれるので、その認識が直視化される等の作用効果を奏する(第四欄第七行ないし第一四行)。

2 審決は、(一)リミツターラインの表示手段、(二)異なる時間軸を得る手段、(三)Z軸の信号と心拍数字変換回路9、鋸歯状波発生回路10との関係について、「本願明細書及び図面をみても具体的には明らかではなく、考案の詳細な説明をみても、当業者が容易にその実施をすることができる程度に記載されているものとは認められない」としているのに対し、原告は、本願明細書及び図面には、ME(医用電子工学)の技術分野において通常の知識を有する者(当業者)であれば容易に本願考案の実施をすることができる程度に考案の構成が記載されているから、審決の右認定、判断は誤りである旨主張するので、その適否について検討する。

(一) リミツターラインの表示手段について

本願考案の実用新案登録請求の範囲には、一つの陰極線管のスクリーン上に、その信号波形及び信号波形の計数値更に「その上、下限のリミツターラインを含んだ波形の計数値の時間経過を表示する」と記載されているが、前記1認定の本願明細書の記載によれば、従来の心電図監視装置は、心電図と心拍数とを物理的に別々に表示するのみならず、心拍数の過去の時間経過上のデータを得るためには、別に記録計等の装置を付加することを必要とし、これを陰極線管のスクリーン上に表示する構成を具備しないものであつて、一つの陰極線管のスクリーン上に心電図、瞬時の心拍数、心拍数の時間経過のデータとともにその上、下限のリミツターラインを表示することは、本願考案により始めて採用された構成であるから、本件出願当時ME(医用電子工学)の技術分野における通常の知識を有する者(当業者)にとつて、陰極線管のスクリーン上にリミツターラインをどのように表示するかは技術的に自明な事項ということはできない。

したがつて、本願明細書の考案の詳細な説明に、当業者において容易に本願考案の実施をすることができる程度にその構成が記載されていると認められるためには、その記載から当業者が右リミツターラインを陰極線管のスクリーン上に表示することについての技術的意義及びこれを表示するための技術的手段を理解できることが必要である。

ところで、前掲甲第六号証によれば、本願公報の考案の詳細な説明及び図面を見ると、リミツターラインに関しては、「心拍数の上、下限のリミツターラインは陰極ビームにより構成される」(第四欄第五行、第六行)、「心拍数の時間経過の図示化は上、下限のリミツターラインが同時に画かれるので、その認識が直視化され」(同欄第一一行ないし第一三行)と記載され、第三図(別紙図面参照)に上、下限のリミツターラインの表示状態が示されているのみであつて、ほかにリミツターラインについての記載も図示も存しないことが認められ、右記載は、リミツターラインを陰極線ビームによつて陰極線管のスクリーン上に表示されるとの単なる結果を記載したにすぎず、右記載によつては、リミツターラインが本願考案の生体現象監視装置においてどのような技術的意義を有するものであるか不明であり、また、それが右装置のどのような構成部分において具体的にどのようにして作り出された電気信号によつて得られるのかも不明である。

そうであれば、本願考案の構成要件である上、下限のリミツターラインを表示する技術的手段に関して、本願明細書の考案の詳細な説明には、容易に本願考案の実施をすることができる程度に考案の構成が記載されていないといわざるを得ない。

この点に関して、原告は、リミツターラインとは、計測された心拍数の上、下限値のことであり、この上、下限値に対応する電圧を陰極線管面にビームの形で描けばよいのであつて、このことは前掲「シンクロスコープ新訂版」に示すように、シンクロスコープ等に直流電圧ビームを描くことと同じであつて、具体的には、その位置調整ツマミを動かすことにより容易に描くことができるから、当業者にとつて自明の事項である旨主張する。

成立に争いのない甲第七号証によれば、前掲「シンクロスコープ新訂版」には、シンクロスコープを用いた基本的な測定方法について、シンクロスコープには位置調整ツマミが設けられ、この位置調整ツマミを調整することによりスクリーンに上、下に移動するビームを描くことができると記載されていることが認められるが、前掲甲第六号証によれば、本願明細書には、本願考案の生体現象監視装置が従来の心電図監視装置を改良したものである旨の記載は存するものの、シンクロスコープ等を改良したものである旨の記載はなく、しかも、右心電図監視装置と右シンクロスコープ等との間の構成、機能上の差異についても何ら記載されていないことが認められるから、本願考案がシンクロスコープ等と同様な構成、機能を有するものであるということはできず、そうであれば、右技術文献に開示された技術的手段から本願考案におけるリミツターラインの構成が当業者にとつて技術的に自明であるということはできない。しかも、前記認定事実によれば、本願考案におけるリミツターラインは、陰極線管のスクリーン上に、その上、下限のものが、心拍数の時間経過を示す波形とともに同時に表示されるものと解されるところ、前掲甲第七号証によれば、前掲「シンクロスコープ新訂版」に示されている陰極ビーム構成手段は、そのスクリーンに一本のラインを表示する手段であつて、その位置の調整可能な二本のラインを同時に右スクリーンに表示する技術的手段を開示し説明しているものでないことが認められるから、右技術文献に基づきシンクロスコープ等によつて位置調整ツマミの可動によりその位置の調整可能なラインを右スクリーンに描くことが自明の事項であつたといえるとしても、本願考案のようにその位置が調整可能な二本のラインを同時に表示する手段までが技術的に自明な事項であるとはいえない。

したがつて、原告の前記主張は理由がない。

また、原告は、本願考案におけるリミツターラインは、自動的に設定されるものではなく、医師又は看護婦が患者の状態に応じて位置調整ツマミを動かして設定される旨主張する。

しかしながら、前掲甲第六号証によれば、本願明細書には、リミツターラインが自動的に設定されるとの記載もないと同時に、それが人為的に設定されるとの記載もないことが認められるから、本願明細書からは、リミツターラインがどのような手段によつて設定されるかは直ちに読み取ることはできない。そして、前記認定のとおり、上、下限のリミツターラインを設けるとの点は本願考案における新規な構成要件に該当し、新規な技術的思想というべきものである以上、当然にリミツターラインを設けることの技術的意義を明らかにしなければならないところ、本願明細書にはこの点に関する記載がないから、本願明細書から、本願考案におけるリミツターラインの設定が人為的に行われるものと推認することはできない。

したがつて、原告の前記主張は理由がない。

(二) 異なる時間軸を得る手段について

本願考案においては、一つの陰極線管のスクリーン上に、心電図波形と心拍数の時間経過図とが時間軸を異にして表示されることは、当事者間に争いがなく、この構成が本願考案において始めて採用された構成であることは、前記(一)認定のとおりであるから、本願明細書の考案の詳細な説明には、当業者において容易に本願考案の実施をすることができる程度にその構成が記載されていると認められるためには、その記載から、時間軸の異なる心電図波形と心拍数の時間経過図とをどのようにして一つの陰極線管のスクリーン上に得るか、換言すれば異なる時間軸をどのようにして得るかについての具体的な技術的手段を理解できることを必要とする。

ところで、前掲甲第六号証によれば、本願公報の考案の詳細な説明及び図面には、本願考案において異なる時間軸を得るために必要とする構成要素である増幅器1、心拍数計数回路2、A―D変換回路3、記憶回路4、D―A変換回路5、Y信号合成回路6及び主増幅器7について、「1は誘導電極より誘導された心電図を増幅するための増幅器で、2は1により増幅された心電信号より心拍数を計数し、それに比例した電圧を得るための心拍数計数回路である。3は上記1の増幅器2の心拍数計数回路より得られたアナログ信号をデジタル信号に変換するA―D変換回路である。4はデジタル信号を記憶するための一記憶回路で、5は4の記憶回路からのデジタル信号出力を元のアナログ信号に変換するためのD―A変換回路である。6は5のA―D変換回路出力と2の心拍数計数回路を数字信号に変換する心拍数字変換回路9との出力信号を合成するY信号合成回路である。7は6のY信号合成信号を陰極線管のY軸に加えるための主増幅器である。」(第二欄第二三行ないし第三欄第九行)と記載され、また、第二図には、増幅器1の出力信号が心拍数計数回路2とA―D変換回路3に加えられていること、心拍数計数回路2の出力信号がA―D変換回路3と心拍数字変換回路9とに加えられていること、A―D変換回路3の出力信号が記憶回路4に、記憶回路4の出力信号がD―A変換回路5にそれぞれ加えられていること、D―A変換回路5、心拍数字変換回路9及び名称不明のブロツク15の各出力信号がY信号合成回路6に加えられていること、Y信号合成回路6の出力信号が主増幅器7に、主増幅器7の出力信号が陰極線管のY軸にそれぞれ加えられていることが示されていることが認められるが、それ以外にこの点に関する記載は見いだせない。

右認定事実によれば、本願明細書及び図面には、前記構成要素1ないし7のそれぞれの表面的な機能及び接続関係は示されているが、その奏する具体的機能、特に異なる時間軸を得るために必要な構成要素である心拍数計数回路2、A―D変換回路3、記憶回路4、D―A変換回路5及び心拍数字変換回路9が共働して、陰極線管のスクリーン上に同時に時間軸の異なる複数の波形又はラインを表示するための具体的な動作態様については何ら記載されていないだけでなく、本願明細書全体を見ても、時間軸の点には何ら触れるところがないから、このような明細書及び図面の記載からは、異なる時間軸が得られる過程が明白である、あるいは、容易に異なる時間軸が得られるものであるとは到底認めることができない。

したがつて、本願考案の構成要件である異なる時間軸を得る技術的手段に関して、本願明細書の考案の詳細な説明には容易に本願考案の実施をすることができる程度に考案の構成が記載されていないといわざるを得ない。

この点に関して、原告は、異なる時間軸を得るには、A―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行い、それを記憶回路4に書き込めばよいことであるから、異なる時間軸の表示は、A―D変換回路3と記憶回路4を設けることにより当業者が容易に実現できる旨主張する。

原告は、サンプリング回数を異ならせる対象の信号が何であるかを直接述べていないため、右信号の種類は必ずしも明白ではないが、審決のこの点に関する説示及び前記認定の本願明細書並びに図面の記載から見て、それらの信号は心電信号及び心拍数に比例した電圧であると考えられる。

しかしながら、A―D変換回路3において、心電信号及び心拍数に比例した電圧に対してA―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行い、それを記憶回路4に書き込んだとしても、それは単に記憶回路4にそれぞれ異なるサンプリング周期で心電信号及び心拍数に比例した電圧の書き込みを行つたにすぎないことである。

一方、前記認定事実によれば、本願考案においては、右のような書き込みのほかに、記憶回路4から読み出した信号をD―A変換するD―A変換回路5や、D―A変換回路5及び心拍数字変換回路9からの各出力信号を合成するY信号合成回路6を具備するものであるが、本願明細書には、A―D変換回路3における心電信号及び心拍数に比例した電圧の書き込みサンプリング周期と記憶回路4から読み出される信号周期との関係、並びにD―A変換回路5の出力信号と心拍数字変換回路9からの出力信号との時間関係についての記載がないことから、Y信号合成回路6の出力に得られる信号がどのようなものであるかが不明であり、そうであれば、右心電信号及び心拍数に比例した電圧に対してA―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行つただけで、なぜスクリーン上に表示される心電図波形、心拍数、心拍数時間経過波形及びリミツターラインの時間軸がそれぞれ所望のように設定されるようになるのかは不明のものというほかなく、右A―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行うことにより、直ちに容易に異なる時間軸が得られるとは認めることができない。

したがつて、原告の前記主張は理由がない。

また、原告は、心電信号及び心拍数信号に対して、A―D変換回路3のA―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行い、これらを記憶回路4に順次記憶させれば、時間軸を容易に変換できることは、ME技術者及び医学的知識を有する者にとつて常識である旨主張する。

しかしながら、A―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行うことにより直ちに異なる時間軸を得られるとは認められないことは前述のとおりであるのみならず、本願考案は、前記(一)認定のとおり、一つの陰極線管のスクリーン上に、一部時間軸が異なる心電図波形、心拍数、心拍数時間経過波形とともに上、下限のリミツターラインを同時に表示させることを新規な技術的思想とするものであるところ、原告主張のように、心電信号及び心拍数信号に対して、右A―D変換を行う頻度(サンプリング回数)をそれぞれ異なつた値で行い、これらを記憶回路4に順次記憶させれば時間軸を容易に変換でき、それによつて右心電図波形、心拍数、心拍数時間経過波形及び上、下限のリミツターラインを同時に表示させることがME技術者及び医学的知識を有する者にとつて常識であるとするならば、それは、取りも直さず、一つの陰極線管のスクリーン上に、一部時間軸が異なる心電図波形、心拍数、心拍数時間経過波形及び上、下限のリミツターラインを同時に表示させることがME技術者及び医学的知識を有する者にとつて常識であるということになり、本願考案がこの構成を新規な技術的思想であるとしていることと矛盾する結果となるから、原告の右主張は到底採用することができない。

なお、被告は、本願明細書にはブロツク15についての説明もされていない旨主張するが、前記審決の理由の要点によれば、審決はこの点について何ら認定、判断していないことが明らかであるから、この点に関する記載不備の有無は判断すべき事項ではない。

3 以上のとおり、本願明細書及び図面には、(一)リミツターラインの表示手段、(二)異なる時間軸を得る手段について当業者が容易にその実施をすることができる程度に記載されていると認められないから、(三)Z軸の信号と心拍数字変換回路9、鋸歯状波発生回路10との関係について検討するまでもなく、本願明細書の考案の詳細な説明には当業者が容易に本願考案の実施をすることができる程度にその考案の構成が記載されているとは認められないとした審決の認定、判断は正当であつて、審決に原告主張の違法はない。

三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当として棄却することとする。

〔編註〕本願考案の実用新案登録請求の範囲は左のとおりである。

病院等の患者監視において、生体信号を監視パラメーターとし、一つの陰極線管のスクリーン上に、その信号波形及びその信号波形の計数値更にその上、下限のリミツターラインを含んだ波形の計数値の時間経過を表示することを特徴とした生体現象監視装置

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!